【ハウルの動く城】衝撃の都市伝説…原作とのギャップがスゴかった
「ハウルの動く城」は未だに人気作品だが、こちらも多くの都市伝説が存在している。
また、ジブリ史上「第2位」という興行収入をあげた同作品は一見大成功したかに見える。
しかし、制作の舞台裏ではかなり厄介な問題も発生していたようだ…
今回はそんなハウルの動く城の都市伝説や裏話を紹介しよう。
本当の設定と裏話
映画では戦争シーンが少し登場するが、ハウルは本来戦争に巻き込まれない為に城を動かしているという設定だった。
しかし、都市伝説ではハウルの動く城を「動かす」理由が原作とは全く違ったのだ。
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原作では戦争とは関係なく、なんとハウルは振られた女性から「逃げる」為に城を動かしていたのだ。
ちなみにハウルの動く城の監督は宮崎駿のイメージが強いが、元々は細田守が担当していた。
あの「おおかみこどもの雨と雪」を制作した人物である。
当初は宮崎監督が「千と千尋の神隠し」を自身の引退作品にする予定だったため、細田守が「ハウルの動く城」を制作することになっていた。
だが突如、監督変更があって城を「動かす」意味合いまで宮崎駿のオリジナルとなった。
都市伝説で設定が違うと言われたのは紛れも無い事実で、その理由は監督の交代にあったのだ。
制作前に問題が発生していた?
都市伝説では細田監督の「ハウルの動く城」が幻の作品とも言われていて、当初は制作も順調に進んでいた。
2001年の冬には正式にハウルの制作が細田監督だと発表され、実際に映画公開も2003年春に控えていたのだ。
にも関わらず公開予定の1年前に企画が頓挫してしまい、関係者スタッフは解散。なぜ企画は中断されたのか?
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細田監督のインタビューによると、当時ジブリスタッフは「千と千尋の神隠し」の準備に追われていたと明かしている。
細田氏も自ら美術・作画担当者を探して頼み込んだものの、最終的にプロジェクト自体が崩壊。やむを得ず宮崎氏の出番となったのだ。
宮崎駿が監督を「拒否」した本当の理由…
宮崎駿は先述の通り引退を宣言していたが、実は当初監督を務めなかったワケが他にもあったという。
さらに言うと、過去の作品「魔女の宅急便」でもそのような現象は起きていた。制作に携わっていたスタッフが解体してしまい仕方なく彼は参加した。
だが本当は「若い人に監督をしてもらいたかった」という想いがあったのだ。なぜかと言えば、若者は発想が豊かで今後も長く活躍できると踏んでいたから。
しかし現実は上手くいかず、大作を作るとなれば監督との信頼感がないとなかなかスタッフが付いてこないとのこと。
宮崎駿は「ハウル」で監督交代後に急遽スタッフを集めた他、細田さんたちが途中まで完成していた絵や台本を捨ててゼロからの仕切り直しを余儀なくされた。
さらにこの時、スタッフへのギャラの未払い問題も発覚して相当苦しんだようだ…
一言メモ
都市伝説でハウルの動く城の「動く」意味自体が違っていたことに大変驚いた。
そして過去に細田氏が制作していたとは…これも意外だった。
監督業は大変神経を使う仕事だけに、途中参加した宮崎氏には当然戸惑いもあっただろう。
しかしながら細田監督も当初は意欲を燃やしていたそうで、制作が上手くいっていたら新しい「ハウル」が見られたかもしれない。
今となっては都市伝説だが…これが幻の作品と言われる所以なのだ。