【ゲド戦記】テルーの正体に隠された真実

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ジブリ作品の中でもやや異色で、賛否両論きっぱり別れるゲド戦記

確かにゴチャゴチャとしたストーリーなのでシンプルな物語を好む人からすれば、ちょっと…と言った感じだろう。

しかし本作品がこれだけ複雑化した裏には、ある理由が存在していたという都市伝説がある。

そこで今回は、この噂を「テルーの正体」を軸にしながら紹介していこう。

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「テルーの正体」に触れる前に…ゲド戦記ってどんな話!?

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いきなり本題に触れるのも良いが、ふと思い返してみるに「ゲド戦記のストーリーってどんなだっけ?」と、残念ながら筆者自身も詳しい内容を忘れてしまっている。

そこでまずは、本作のあらすじをざっと書き出してみたいと思う。多少ネタバレを含むので、まだ映画を見ていない人は注意してほしい。

ゲド戦記の舞台となるアースシーという多島海世界に突然ドラゴンが現れ、しかも龍同士で共食いを始めるという事件が発生した。

同時に人間界の重要なファクターである魔法使いが魔法を使えなくなるという、とんでもない窮地に立たされてしまう。

この原因を探すために旅立った魔法使いのハイタカだが、その途中で主人公のアレンと出会ってともに旅をすることになる。

ちなみに、この魔法使いのハイタカの本名こそがゲドであり、原作の『ゲド戦記』はハイタカを主人公とした物語である。

なぜジブリ版だとアレンが主人公になっているかについては諸説あってハッキリとしないが、ハイタカが正体…というか本名を隠しているのにはこんなワケがある。

ゲド戦記の世界では、本当の名前を知られてしまうと他人の意のままに操られてしまう

何だか取って付けたような設定だが、実はこの価値観は古来から日本にも存在している。歴史好きの人なら一度は『』という字を見たことがあるだろう。

これはイミナと読み、場合によっては『忌み名』と書くこともある。あるいはゲド戦記でも呼ばれているように、現実世界でも『真名(マナ)』と呼称することもあるのだが…

いずれにしろ、これらはその人間の正体みたいなものだ。人に知られてしまうことで、やはり自由自在に操られてしまうと言い伝えられてきた。

当然現代では迷信くらいにしか思われていないが、れっきとした仏教をモチーフとした設定なのだ。話を本題に戻すとして、アレンは旅を続けるうちに徐々に精神を病んでしまう。

そんな折に辿り着いたのが、かつては美しい街並みを誇っていたホート・タウンである。しかし世界のバランスが崩された現在ではいわゆるスラム化が進んでいて、犯罪都市にまで成り下がっていた。

そこで出会ったのが、ゲド戦記のヒロインともいえるテルーだ。

彼女が人買いに襲われそうなところをアレンが助け(結果自分が捕まってしまうのだが)、何やかんやあって3人はテナーという女性の元で暮らすことになる。テルーは彼女の家で暮らす孤児だったのだ。

ゲド戦記のクライマックスは、ハイタカのライバルであるクモがアレンたちを襲撃することで始まる。(ちなみに世界のバランスが乱れたのも、このクモという魔法使いの仕業だ)

この時ハイタカはクモの術中にハマって無力化されてしまい、アレンも例の『真名』を知られたことで為す術が無くなってしまうのだ。

唯一クモに対抗できるのはテルーしかいないという状況で、彼女はアレンを助け出す。が、クモは強大な魔力によって彼らがおびき出された城もろとも、全てを破壊しようと目論む。

絶体絶命!完全なる窮地!これはもうどうしようもない…

と思ったところで、テルーがまさかのドラゴン化。そう、ただの孤児かと思われた彼女の正体は、驚くことに人間界に突如として現れた龍族の仲間だったのだ。

テルーは強大な龍族としての力を発揮して、呆気なくクモを退治。恐らくここまで真面目にゲド戦記を見ていた視聴者は全員、ポカーンとしていただろう。

その間にアレンはテナー達との再会を誓いつつ帰国して、物語はそのままエンドロールとなる。何の前触れもなくテルーが正体を明かしたことや、デウス・エクス・マキナ的なご都合主義展開など…

結局、何故タイトルが『ゲド戦記』なのかなど…様々な謎を含めたまま映画は終幕。この終盤の「広げた風呂敷を強引にたたむが如き展開」が、この作品の評価を二分する原因になったと見られるが…

そこの評価はさておき、以上がゲド戦記の大まかなあらすじとなる。はしょりすぎて正体不明な感じになっているが、大体こんな感じである。

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ゲド戦記最大の謎?アレンは何故、テルーを見て唖然としたのか?

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さて、ゲド戦記で最大の謎と言われているのが、アレンがテルーを助けた際のシーン。この時、ハイタカは彼女を見て一瞬「あ!」という感じに唖然となる。

原作に忠実なファンからは「テルーはハイタカとテナーの子どもだし、久しぶりに再会した娘を前に唖然とするのは当たり前!」と言った意見もあげられている。

が、あくまでジブリ版のゲド戦記では彼らに親子関係はないものとして描かれているだけに、やはり上記の説には矛盾が発生する。

これに関してネット上では様々な考察が繰り広げられているが、あの時点でテルーの正体を見破っていたという説が、今のところ最も有力だ。

そもそもジブリ版のゲド戦記では「人は昔、龍だった」と語られていたり、あるいはキャッチコピーにも「かつて人と竜は一つだった」という文言が用いられている。

また原作を含めた作中でも「龍族の一部が人間になる道を選んだ」といった旨の説明までされている。

つまりテルーの正体は、そうして過去に人間になることを選んだ龍族の子孫というか、生き残りなのだ。

ならばクモが襲ってきた時点で、「ドラゴン化してしまえば手っ取り早かったのに!」と思われるかもしれない。しかし、ゲド戦記の物語はそこまで簡単ではない。

実は作中において、人間界に溶け込みながら生活している龍族の子孫はかなりの数に及ぶ。

しかし、龍族の血を引く者のほとんどが「自分たちの祖先が人間ではなかった」ということを忘れて生活しているのだ。

もちろんテルーも例外ではなく、彼女は物語の終盤まで自分自身の正体を知らなかった節がある。

そしてハイタカにしても、わざわざ彼女に本当の事を教えて苦悩させる必要もないと考えていたかもしれない。

しかし現実世界にも「血は争えない」なんて言葉があるくらいだから、やはり遺伝子や血だとか言ったものは何かの影響で強く反応するようだ。

テルーの場合はそのきっかけがクモとの争いにあって、そのためラストシーンで自らの正体を明かす結果になった。いわば「先祖返り」とでも言えば正しいのだろうか。

この仮説を裏付けるように、ゲド戦記では序盤以外にも時おり龍族が登場するシーンがある。

また、そもそもの設定として「突如ドラゴンが現れる」というのも、テルーと同じように何かのきっかけを得て先祖返りしてしまった龍族の末裔たちの姿なのだ。

もちろん制作側から真相が明かされない限り、これは憶測の域を出ない説だが…まあ、矛盾もないし本当にこの通りだとすれば、あのラストシーンを『単なるご都合主義』とも言えなくなるのではないだろうか。

やや批判的なコメントの多い当作品において、コアなファンが根強く存在する理由。それは「原作を知っているか知らないか」の違いにあるのではないかと思う。

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そもそも原作のゲド戦記は、文庫本で全七冊からなる長編ファンタジー小説。

ジブリ版は本作のうち三冊目の『さいはての島へ』をベースに、次いで四冊目の『帰還』と五冊目の『アースシーの風』を混ぜ合わせている。

さらに、宮崎駿の著作『シュナの旅』までも採用したチャンプルーっぷりの凄まじい映画なのだ。ここまで壮大なスケールで描かれた物語を2時間前後に収めようとする時点で、どだい無理な話なのだ。

よってゲド戦記では(他のジブリ作品でもよく見られる手法だが)テルーの正体など、大事な部分をオブラートに包むようにした表現方法が用いられている。

あるいは、そこにはスタジオジブリの「原作も知って下さいね!」というメッセージも隠れているのかもしれない。

なので、もしあなたがゲド戦記をもっと楽しみたい!と考えていれば、やはり原作を読むことを強くオススメしたい。

 

テルーの正体が「龍」だったワケ!ゲド戦記に込められたメッセージとは

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ゲド戦記については様々なネタが噂されている。例えば、なぜ今になって映画化したのか?という『そもそも論』や、宮崎吾朗が監督をすることに意味があったのか?というものだ。

実はこれらの疑問が「テルーの正体と強く関係しているのではないか?」という憶測がネットの一部に広まっている。彼女の本来の姿といえば、言うまでもなくドラゴンである。

これは、人間と暮らす中で失われていったチカラと言い換える事もできるだろう。

言うなれば、彼女たちは本来自分たちが持っていた「自然のチカラ」を現代的な(あくまでゲド戦記内における現代)生活に身を投じることで奪われていったのだ。

それがひょんなきっかけから、先祖返りを起こして人間界に災いをもたらす。

もう少し突っ込んで言うと、これは人間たちが押し込めてきた自然のチカラが、あるきっかけによって人間たちに猛威を振るうという警笛なのだ。

ここまで書けば後は分かると思うが、要するにゲド戦記とは現代人に対する「アンチメッセージ」的な作品になっているのだ。

ジブリ映画には、この他にも『風の谷のナウシカ』『もののけ姫』などでたびたび自然破壊に対する注意喚起のようなテーマを取り上げてきた。

テルーの正体についても、やはり手法を変えたアンチメッセージと捉えることが出来そうだ。

また、彼女がドラゴンであるということは『血筋や遺伝子』によって決定されているもので、宮崎駿という偉大で天才的な人物の血を引いた息子、吾朗がゲド戦記の監督を担う。

ここにもやはり、スタジオジブリならではの「特別な想い」があったように思われる。まあ、その二人が意見の食い違いで大ゲンカしたという都市伝説もあるが、そこは目をつぶるとして…

「ゲド戦記と宮崎親子の不仲説」はこちら

今回は「テルーの正体」からゲド戦記を読み解くというちょっと無謀な挑戦をしてみたが、いかがだったろう。

やや無理くりな部分があったとしても、これらは筆者の個人的な意見も含むので、笑い飛ばすくらいの感じで読んで頂ければ幸いだ。

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