まるで不死鳥…!カーネルサンダースの都市伝説は実話だった
カーネルサンダースと言えば、ケンタッキーフライドチキン(KFC)の創業者。
だが、彼に対する日本でのイメージはそこ止まりだ。
なので今回は都市伝説のような、もしくは都市伝説すら裸足で逃げ出すカーネルサンダースの「山あり谷あり」な人生を面白おかしく紹介しよう。
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ここがポイント!
「カーネルサンダース」の青春は不幸の連続だった!?
1890年にインディアナ州で生まれたカーネルサンダース。実の本名はハーランド・デーヴィッド・サンダースという。
カーネルは後に都市伝説的に付けられたもの…ではなく、ケンタッキー州から貰った「名誉称号」である。
日本ではよく「カーネルおじさん」と呼ばれるが、厳密には間違いだ。さてこのカーネルサンダース。
6歳のときに父親が亡くなり、以後13歳まで母子家庭で育つ。兄弟も多かったため貧しい環境だった。
なんと10歳から農場でアルバイトをしていたという話も都市伝説の1つとしてある。またカーネルサンダースは都市伝説によると、最終学歴が小卒。
日本では義務教育のおかげで確実に中学校までは出られるが、彼は小学校しか通っていないのだ。
一応通信教育を受けていたと言われているが…「履歴書に書けるのは小卒まで」
想像するとちょっとシンミリとした気持ちになる都市伝説だ…
カーネルサンダースが14歳のとき、母親が再婚。しかし義父との不仲が原因で彼は家出してしまう。
その後、16歳でアメリカ陸軍に入団。当時の米軍は16歳以下だと入隊できなかったが、カーネルサンダースは年齢を偽っていたらしい。
カーネルサンダースといえば優しくて真面目なイメージがある。そんな彼からすると少し意外なエピソードの都市伝説だ。
だが、こうして別の一面も見えるからこそ都市伝説は面白い。しかし彼は、翌年に陸軍を除隊。
それから30歳になるまで転職を繰り返して数々の仕事についた。都市伝説によると、その数なんと40種以上!
たしかにアメリカだと「転職はステイタス」と捉えられることもあるが…日本人的には「信じられない!」と思う人がほとんどだろう。
いや、だからこそ都市伝説か。ともあれカーネルサンダースの青春時代は、成功とは程遠い苦難続きのものだった。
成功、そして失敗!まだまだ続くカーネルサンダースの都市伝説な生き様!
カーネルサンダースが30歳になった頃、アメリカは一気に車社会となりつつあった。鉄道メインの交通状況から、一気に自動車を用いる時代になろうとしていたのだ。
カーネルサンダースもこれにイチ早く目をつけた。彼にとって初の起業となるガソリンスタンド経営を始めたのである。
このとき経営場所として選んだのがケンタッキー州。以後、カーネルサンダースはこの州を中心に事業展開していくことになる。
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窓拭きやラジエーター交換を行うなど、他店にはないサービスが話題となる。おそらくカーネルサンダースの人生で初めての成功と呼べる瞬間だろう。
だがこの成功も長くは続かなかった…程なくして世界恐慌が訪れ、アメリカでも「ウォール街大暴落」事件などが起きた。
もちろん都市伝説ではなく史実だ。世界史の授業で習った人も多いだろう。この影響で経営していたガソリンスタンドは閉店。
またその翌年には、一人息子を病気で亡くすなど…カーネルサンダースの不幸は連鎖していった。その後も彼はカフェやモーテル(格安ホテルのようなもの)の事業展開をしていく。
経営は成功、しかし火災で全焼。わかり易い「上げて落とす」という笑いの手法である。
いや、本人にとっては全く笑いごとではない…もはやフィクションと聞いても誰も疑わないだろう。
しかし実際にあった事柄だ。だからこそ都市伝説として語られるのである。
彼にとってKFCの成功以外に幸せな時期があったとするなら…それは50歳ごろに行ったカフェの再建とその経営だろう。
ちなみにこの「サンダース・カフェ」は以後10年以上にわたって安定した業績を出した。カーネルサンダースにとっては、つかの間の安息だったと言えるだろう。
年金わずか「105ドル」!?カーネルサンダースの取った老後の決意!
経営の安定していたサンダース・カフェ。しかしカーネルサンダースが65歳のとき、ケンタッキー州にハイウェイ建設ブームが起こる。
カフェから遠い場所に作られたハイウェイのおかげで、客足は徐々に減っていった。最終的にカフェは倒産。
カーネルサンダースは65歳にしてまたもや無職に逆戻りしてしまった。まあ65歳といえば、日本でも定年退職のころである。
そして彼もこう思った。
「あとは年金でほそぼそと暮らしていこう…」
しかし計算すると、年金が月々たったの105ドルしかもらえないことが発覚。
「ほそぼそ暮らすにも限度があるわ!」
既に老人の域に達していたカーネルサンダースだが、第二の青春とばかりに一念発起する。そしてオープンしたのがKFCだったのだ。
KFCは独自のスパイスなどがウケて、またたく間に人気となる。経営から5年、彼が70歳のときには既に店舗数が200を越えていた。
ここに来てやっとカーネルサンダースの人生は大成功となったのだ。彼は90歳で肺炎にかかり他界したが、KFCの出店後は幸せな人生だったという。
失敗しては成功し、また失敗しては成功する。まさしく都市伝説のような生き様のカーネルサンダースである。
現在にも残るカーネルサンダースの偉業とは?
KFCをオープンする直前。今までの個人経営型の営業システムにカーネルサンダースは限界を感じていた。
店舗が1つしかない場合、ちょっとしたアクシデントですぐに倒産してしまう。いわゆるイレギュラーな状態に弱かったのである。
そして考えだされたのが現代でも残る、あのシステム。そう「フランチャイズ」だ。
これは都市伝説によるとカーネルサンダースが考え出したものとされる。また当然だが、世界初のフランチャイズ導入店もKFCである。
現在このフランチャイズを用いたチェーン店は世界中にいくつも存在している。日本国内でもセブンイレブンなど、多くのコンビニがこの形態を取っている。
もはや現代の経営シーンになくてはならないシステムである。つまり都市伝説的にいえば、カーネルサンダースの人生はフランチャイズを編み出すためにあった…
こんな風に考えることも出来るのではないだろうか。
カーネルサンダースもフリーメイソンだった!?
カーネルサンダースについて、1つ大きな都市伝説が存在する。それは「フリーメイソン」説だ。
世界的な秘密結社・フリーメイソン。都市伝説によると、どうやらカーネルサンダースも入会していたようである。
彼は孤児院に日々デザートを配ったり、医学や教育、あるいはボーイスカウトなど様々な範囲で慈善活動をしている。
だがこうした活動をフリーメイソン名義で行っていたという都市伝説があるのだ。
実際にカーネルサンダースは胸に「ミスティック・シュライン」というバッジを付けていた。これはフリーメイソンの中でも、特に階位の高いメンバーしか所持を許されないものである。
また実は、KFCの成功もフリーメイソンの力によるもの。もしくはフリーメイソンがグローバル展開するための「隠れ蓑」としてKFCが利用されていた。
などなど…「カーネルサンダース=メイソンリー」と定義する都市伝説は数多く存在する。いずれにせよWin-Winな関係だったのは間違いなく、都市伝説の信ぴょう性は高い。
また別の都市伝説では、ピラミッドやスフィンクスの近くにKFCがあるのもフリーメイソンの影響だという。実はエジプトのピラミッドはフリーメイソンが建設に関わっていたと噂されているのだ。
さらにネバダ州の砂漠にはカーネルサンダースの巨大な床絵?まで描かれている。
「世界初の”宇宙から見える”ロゴマーク」
こんな宣伝で一時期話題になり、実際にグーグルアースからも確認が出来る。しかし、イチ企業になぜこんなことが出来るのか疑問に思わないだろうか?
それはやはりフリーメイソンが関わっているからだと都市伝説では語られている。
最後になるが、以下はカーネルサンダースが残した名言である。
「私は特別な才能を持っていたわけではない。自分に与えられた役目に全力で取り組み、精一杯生きただけ」
都市伝説級の生き様ばかりに目がいって見失いがちだが、彼が成功できた一番の秘訣はこの「真面目さ」にあるのかもしれない。