ドラえもん都市伝説!藤子先生の遺言「行かなきゃ」が話題に
ある日のこと。深夜にテレビを見ていたらなぜか「ドラえもん」がやっていた。
しかし、そのドラえもんはいつもと雰囲気が違っていて…最後に「行かなきゃ」と言ってのび太が消える。
巷ではこんな都市伝説がまことしやかに噂されている。これは一体どういうことか?
少し都市伝説の内容を掘り下げたいと思う。
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深夜に放送されたドラえもん「行かなきゃ」の謎
都市伝説によると「行かなきゃ」の放送は夜中の2時、3時とも言われている。普通なら砂嵐とかカラーバーの出る時間帯。
こんな深夜にドラえもんが放送されるなんて、とても考えられないことだ。夜中にトイレで目が覚めてなにげなくテレビを付けたらドラえもんがやっていた。
ってこれはもはやホラーだ…しかもこの「行かなきゃ」は、のび太の後ろ姿だけという映像。
普段のドラえもんならジャイアンやスネ夫も登場する。そしてケンカに負けたのび太がドラえもんに泣きつく、というのがいつものオチなはず。
しかし都市伝説で語られる「行かなきゃ」では全くそんなことはない。背景も存在しない謎の空間に、のび太が延々と後ろ姿のまま歩いているだけだ。
そして最後に…
「行かなきゃ」
振り返ったのび太がこう言って消えるのだ。映像はそこで終わる。
なんとも奇妙な都市伝説ではないだろうか?しかも深夜のドラえもんを見たのは、1人や2人だけではない。
都市伝説によるとかなりの人が「例の放送」を見たという。ある都市伝説では、テレビ局に抗議や質問の電話が殺到したとも言われているのだ。
しかしこの話、実はただのイタズラではないか?ドラえもんスタッフが何も放送されていない時間帯を狙って「行かなきゃ」を流したのでは?
普通ならそう考えられる。そう、普通なら…
この「行かなきゃ」だが、実は放送されたとする日が視聴者の間で密かに話題になっていたのだ。
「行かなきゃ」は藤子先生の命日に流されていた?
この都市伝説を信じるならば「行かなきゃ」が放送されたのは…1996年の9月23日とのこと。
なんと、作者の1人である藤子F不二雄先生の命日なのだ。しかも一般に訃報が知らされたのは、翌24日のこと。
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ドラえもんのスタッフですら、「行かなきゃ」が放送された23日の深夜には「藤子先生が亡くなった」ことを知る者はいなかったのである…つまり、藤子先生の他界を悲しんで流した説は考えにくい。
ただのイタズラにしてもタイミングが良すぎる。よって、いずれの考えも都市伝説では否定されている。
また、のび太が最後に喋った「行かなきゃ」だが…このセリフが藤子先生の声「そのものだった」という都市伝説も存在する。
いずれにしろ、この「行かなきゃ」。都市伝説的にいえば藤子先生の命日に流されたとするドラえもん最大のミステリーである。
しかし、実はこの都市伝説にはまだ続きが存在した。
後日、また別バージョンの都市伝説が…
「行かなきゃ」の放送から数日後、または数週間後とも言われているが…とにかく藤子先生が亡くなってしばらくのこと。
「行かなきゃ」と同様に、またしても深夜にドラえもんが放送された。だがこの時はちょっとしたストーリー仕立てになっていた。
ジャイアンとケンカをするのび太。いつものようにドラえもんが道具を出して助けようとする。
しかしのび太は道具を受け取らず、正々堂々ジャイアンと戦うことを決意したのだ。ジャイアンもそんなのび太の姿に心を打たれ、ドラえもんも感動して涙を流す。
結果的にのび太とジャイアンは仲直り。そして、画面の「こちら側」に目を向けたのび太が一言。
「私は多くの夢を与えてきた。でももう行かなきゃならない」
都市伝説によれば、この時の声はハッキリと藤子先生のものであったという。日本では人が亡くなった後の習慣として葬式をあげる。
しかしその後も、初七日や四十九日など多くの儀式が存在する。一説には亡くなった人がちゃんと成仏するのは、この四十九日を過ぎてからだとも。
この別バージョンの「行かなきゃ」が具体的にいつ放送されたか?今になってしまえば不明だが、もしかすると藤子先生が天国に旅立つ前の最後のお別れだったのかもしれない。
都市伝説とはいえ、その最後が「ドラえもん」と言うのはなんともシブい演出である。ちなみに「行かなきゃ」には、さらなる別バージョンも存在する。
スケッチブックを持って画面の奥に歩くのび太。ドラえもんが追いかけてきて呼び止める。
「もう行かなきゃだめなのかい?」
のび太は振り返ってうなずくのだが、その時の顔がなんと藤子先生になっている。ドラえもんは全てを理解して「ありがとう」とお礼を述べる。
都市伝説によると放送はここで終わっているとのこと。また、こちらの放送も藤子先生が亡くなった日という説が有力。
はじめに紹介した方と一体どちらが正しいのか?もしくは、見た人によって内容が変わる?
まさにオカルトチックな都市伝説である。ドラえもん作者の葬儀には多くの関係者が参列し、沢山の人が涙を流したという。
相方の我孫子氏は「彼がいなければ私はマンガ家になれなかった」とも語っている。性格的にもマンガ家としても偉大だった、藤子先生。
その最後にまつわる悲しくも感動する都市伝説である。我々も前を向いて行かなきゃ!のび太と同じように。